不満によって得られる精神上のバランス
ほぼ全ての人が、何らかの不満や悩みを持っていると思います。
でも、そういった不満って、解消すればそれでハッピーなるかというと、たいていは別のことに不満を覚えるようになってしまいます。
ありきたりな言い方をすれば、「完璧なんてない」ってことなんでしょう。もちろん、許容できないレベルであれば何とかしなければなりませんが、どうせ何らかの不満はあるもの、と思えばたいていの不満は許容できるようになるんじゃないかと思います。
そうはいっても、もっと理想的な環境を作れるんじゃないか、と思う人もいるでしょう。
私自身、自分で理想的だと思う環境を作って、それでビジネスとして成り立たせることが出来れば、大変ながらも充実した生活が送れるんじゃないかと考えたりします。
そんな折、江島健太郎さんの「ありふれた持病」というエントリーには考えさせれるものがありました。
いまぼくは、かなり理想的な環境にいる。行きたい、と手を挙げてホントに行けることになったシリコンバレーで、やりたい、と思ったことをやり、こういうチームがベストだろう、と考えていたチームで、日銭稼ぎに追われることもなく、フェアな市場で、自分で行った意志決定をさしたる制約もなく遂行することができる。
しかし、こうした良い環境で自分の思うような結果が出ないと、自分を楽にしてあげるための都合のいい言い訳ができなくなる。いつもよくやるような、理不尽なシステムのせいだとか、あれこれのことで忙しいからだとか、そういう誰のせいにもできない。すべてが自分にはねかえってくる。自分の能力や性格の限界を目の前につきつけられる。
確かに私自身、環境に対する不満はいろいろとあります。ただ、そういった不満があるからこそ、精神衛生上のバランスが取れるのかもしれないと思いました。